バブル時代の日本では、ブランドもののバッグが店頭に並んだ質屋の光景が、よくテレビに映し出されていました。うって変わって、質屋を取り巻く環境は20数年前と2018年現在とですっかり変容しています。
質屋業界の売り上げが年々どのように推移しているのかなどについて解説します。
質屋ヒストリー
質屋の歴史の始まりは、かなり古くまでさかのぼります。
今から700年以上前の鎌倉時代、すでに質屋は存在していました。貨幣経済が発展を遂げる中で、”質屋”という商売が生まれます。庶民へ地方の領主が担保付きの貸付をしたことが、日本における最初の質屋システムの雛形です。
今とは異なり、その当時は「土倉(とくら)」と称されていました。
時代が進み室町時代になると、質屋の位置づけが変化します。この頃の質屋は、庶民からすると金融機関のような役割を担っています。
今のように”質屋”と呼称されるようになったのは江戸時代からです。質屋が飛躍的に数を増やすとともに、「土倉(とくら)」から「質屋」へと名前を変えたと言われています。
1960年代に活性化
戦争が終わり、日本の経済は強烈なインフレに襲われますが、質屋はその時代に隆盛を極めます。
質屋は貴金属、着物、時計などを担保に、小額のお金を貸し付けました。
ユーザーは物的資産を預けることで、融資が容易に受けられます。
質屋業者は高い価格で質流れ商品を販売できたため、このビジネスモデルは瞬く間に広がりました。インフレによって物価が上がり続けていたことも、質屋側に有利に働きます。
1970年代に衰退
順調に規模を拡大し続けていた質屋業界ですが、1970年代に入った途端、一気に勢いを失います。その理由は、消費者金融が普及したことと深く関連しています。質屋は保証人がいらず担保無しで融資を行う消費者金融に、顧客を取られてしまったのです。
リーマンショックの影響
2007年の秋に起こったリーマンショックは、様々な業界に甚大な影響を与えました。
ほとんどの金融関連の株が一瞬で下落したことを、まだ記憶している人も多いでしょう。その中で「質屋の株が上がる」といった興味深い現象が起こります。
「担保をとってお金を貸す」という質屋のブレることのないスタンスが、人々に再び支持されるようになったのです。
返済能力を超えた金額を簡単に借りられる消費者金融のシステムや、利息の存在はしばしば問題視されていました。しかし質屋は「お金を返済しなければ商品が質流れする」という仕組みのため、消費者金融よりもずっと堅実なビジネスだと投資家などから再評価されたのです。
リユース市場の成長
ゲオやブックオフに代表されるリユース産業が業界の規模を広げた結果、質屋の数は減少の一途を辿るようになります。これまで長年営業を続けてきた質屋も、次々と店を閉め始めました。リユース市場の成長以外にも、質屋業界衰退の主な理由として、質屋運営者の高齢化や、後継者の育成の失敗などが挙げられます。
今は店舗型のリユース店のみではなく、フリマアプリの「メルカリ」などが人気を集めています。
かつての牧歌的な時代とは程遠い現代、質屋が苦境に立たされていることは間違いありません。
年々、縮小する質屋市場
質屋のピークは1955年から60年の間で、全国の事業者数は21,539店舗を記録しました。それ以降はゆっくりと減り続け、2015年に営業していたのは3,034店舗だったというデータがあります。
前述したメルカリを利用すれば、売り手と一度も顔を合わせることなく、スマホの操作のみで希望する商品を手に入れることができます。
対人関係を煩わしく感じ、できるだけ人との距離感を取りたがる若い世代からすれば、質屋は「古臭い」「暗い」といったネガティブイメージを抱かれやすいのは確かです。
入店のハードルが高いと思われていることは否定できないでしょう。その課題を克服できないまま放置していると、質屋はどんどん廃れていってしまう可能性が高いといわざるをえません。
まとめ
旧態依然のビジネスモデルだと認識されがちな”質屋”ですが、威圧的な取り立てをする必要性がない、健全なシステムであることは確かです。
一般人の中古品に対する意識も高まりつつあり、地球環境にも優しい「質屋」を経営する店がこのまま減り続けるというのは、寂しいといわざるをえません。
今後は店舗経営のみでなく、ネットでの売買を視野に入れていく必要があるでしょう。