年末はあっという間に過ぎ去り、気づいたら年を越していました。古物美人担当のヒロくんです。
2018年最初の古物美人紹介の前に!
リサイクル業界の重鎮コメ兵についてふと疑問が浮かび、気になって調べたので、その内容をまとめます。
すぐに美人が見たい方はこちら
リサイクル業界の重鎮「株式会社コメ兵」
コメ兵 社名の由来
コメ兵の由来は、明治30年に創業した時のお米屋さんの屋号、「米兵」からきています。創業者は石原兵次郎さん。兵次郎さんのお米屋さんなので、米兵。ここから米兵の歴史が始まります。
明治30年(1897年)はどんな時代
米兵が創業される3年前、明治27年(1894年)から翌年明治28年にかけて日本は日清戦争でした。日清戦争は、朝鮮半島を我が物にしようとしている清国と、朝鮮半島を一つの国として独立させようと志す日本との、朝鮮半島の地位をめぐる戦争です。
日清戦争に大勝した日本は、清国に朝鮮半島を一つの国として認めさせました。そして日清戦争終結から2年後、明治30年、大韓帝国が成立。
そのころ日本は、清国から多額の賠償金をもらい軍備拡張、産業振興を図ろうとしている最中です。清から得た賠償金3500万ポンドの金を準備金として、金本位制の貨幣法がこの年に施行されました。当時の日本の内閣総理大臣、兼大蔵大臣は松方正義です。
戦争と聞くと貧しいイメージを思い浮かべますが、戦争中、想像とは逆に経済の成長は加速していきます。
父が創業した「米兵」の名を受け継いで古着屋を出店
第二次世界大戦が終結した昭和20年(1945年)ごろ、石原兵次郎の四男である石原大二は新しく商売を始めるための集金として、着物などの古着をリヤカーを引いて家々を周り販売をしました。そのときのニーズは高く、面白いように売れたそうです。
昭和22年(1947年)、戦争の焼け跡が残る愛知県名古屋市中区の大須に進出。父が創業した屋号を受け継ぎ、古着屋「米兵」を出店します。戦争終結から間もない日本の物資が不足している状況で、衣類への需要は高い状態が続きました。
その後の昭和29年(1954年)から日本は高度成長期に入ります。生活レベルの向上に合わせて、宝飾品や時計、家電製品へと取り扱い品目を増やしていきます。
バブル崩壊
平成3年(1991年)、世間ではバブルの崩壊が訪れましたが、米兵にとっては空前の買取チャンスが訪れました。買取需要の高まりとともに、高額商品の品ぞろえが増えたことで支持を得て、順調に業績を拡大していきます。
平成29年、創業70週年を迎える
平成29年5月に創業70周年を迎えたコメ兵は現在、資本金18億円の中古業界の重鎮となっています。
店舗での販売だけでなく、インターネット販売や、時代の変化を捉えたCtoCのブランド品販売アプリ「KANTE」まで手がけています。KANTEはCtoCの個人間取引でありながら、コメ兵の目利きが真贋判定をしてブランド品の信用を担保してることが面白いですね。
コメ兵 最後に
コメ兵の歴史を調べていたら面白くなってしまい、少し長く書いてしまいました。最後に、コメ兵さんの創業精神を紹介しておきます。
「高く買えばモノがあつまり、安く売れば人が集まる」
「80:20の法則」
80:20の法則とは、販売においては「2週間で20%売れる売価が適正。」
「2か月経過しても売れ残っている商品は20%値下げする。」
買取においては、「80%の人から買い取れる金額が適正。」という当社オリジナルの商品管理基準です。
取扱商品の変更とともに当管理基準は内容を変えて存在しています。
参照 コメ兵ホームページ内
それでは!今年初のご紹介となる美人さんです!
2018年01月の古物美人
今回も日本最大級のフリーマーケットである、マンモスフリーマーケットZからお届けします。
取材班リーダーのDaikiさんは彼女といい感じだそうです。私はまだ彼女もできていません。
果たして私は古物美人と出会えるのでしょうか
ペンネーム 「KUMI」さん。20代。フリマ歴 初。
黒髪清楚系女子。僕のストライクゾーンに入っています。
写真を撮られる取材という状況に、照れながらも優しく応じてくださいました。前回の古物美人さんのお友達です!
では早速取材をはじめます。
今回で何回目の出店ですか?
初めてです。
メルカリやYahoo!オークションは販売者として使用していますか?
メルカリはたまに、Yahooオークションをよく利用します。
フリマを始めたきっかけはなんだったのでしょう
KUMIちゃんに誘われてきました〜。
どういったものを出品していますか
全て私物の古着です。
ありがとうございました!!
なんと、メインコンテンツである古物美人への取材は以上です。サブ企画であるコメ兵調査と古物美人のコンテンツ量が80:20という驚きの偶然。
次の美人も楽しみですね。それではまた!